特別展「レスコヴィッチコレクションの摺物 ―パリから来た北斎・広重・北渓・岳亭―」 |
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会場:大和文華館(奈良市学園南1-11-6) |
会期:2024年7月9日(火)~9月1日(日) |
開館時間:10:00~17:00(入館は閉館30分前まで) |
休館日:月曜休館、ただし7月15日、8月12日は開館し、7月16日、8月13日が休館 |
アクセス:近鉄奈良線「学園前」駅から徒歩約7分 |
観覧料:一般950円、高校生・大学生730円、小、中学生無料 |
※前期(~8月4日)、後期(8月6日~)で展示替えあり ※あべのハルカス美術館との相互割引を実施 ※最新・詳細情報は公式サイトで確認を |
あべのハルカス美術館の開館10周年を記念して開かれている「広重 ―摺の極―」。展示のベースになっているのは、「レスコヴィッチコレクション」である。ポーランド出身でパリ在住のジョルジュ・レスコヴィッチ氏は、歌川広重の作品に出会ったことをきっかけに浮世絵の収集を始めたそうなのだが、そのコレクションはもちろん広重だけに留まらない。特に充実しているのが「摺物」で、これは〈世界でも一、二を争う規模に成長している〉(展覧会図録での浅野秀剛・大和文華館館長「レスコヴィッチコレクションの摺物」より)のだそうだ。その摺物を特集するのが大和文華館の展覧会。「広重 ―摺の極」のスピンオフ、という感じだろうか。
摺物とは何か。展覧会サイトなどの説明によると、〈江戸時代の版画のうち、販売用ではない、特別な注文によって制作された作品〉である。言い換えれば、「特注の非売品」だ。では、だれが何のためにその特注品を作ったのか。おおざっぱにいうと、2通りのパターンがある。ひとつは、舞踊家や演奏家などの「芸人」が自分の発表会や襲名披露のために制作したもの。もうひとつは、当時大流行していた狂歌の愛好家グループ(狂歌連)が自分たちの作品を載せるため作ったものだ。前者は公演絡みの「配り物」であり、後者は高級な同人誌的なもの、といえば分かりやすいだろうか。
狂歌連に参加していたのは、今で言えば時代の最先端を行く文化人たち。自分たちが作る摺物で、自らのセンスや教養、あるいは財力といったものを誇示しようとした。従って、制作される摺物は、一般販売される錦絵と同等以上に瀟洒で緻密、端麗なものが多かった。金銀砂子で飾られ、空摺、極め出しなどの技巧を凝らしたものも多かったのである。
展覧会は、650点を超すレスコヴィッチ氏の摺物コレクションの中から269点を選び、前期・後期に分けて展示する。〈北斎〉〈北渓・岳亭と北斎門人〉〈国貞・国芳・広重と歌川派〉〈清長・俊満・英泉、他〉の4章構成。葛飾北斎は“世界で最も有名な浮世絵師”だが、摺物も数多く手がけており、勝川派を離脱して北斎を名乗るようになるまでは、むしろこちらを主戦場にしていたようだ。〈これまた狂歌はいかゐなどの摺物画に名高く、浅草大六天神の脇町に住〉と浮世絵師の来歴を記した『浮世絵類考』に書かれているほど。師匠が多く手がけるジャンルであれば、一門もまたそうなるのは自然だろう。2つめのブロックは、北斎の弟子、魚屋北渓や北渓の弟子、岳亭春信らの作品が並べられている。
3番目のブロックでは、江戸後期の浮世絵界の中心をなしていた歌川派の作品を集めた。役者絵・美人画の国貞、武者絵の国芳、風景画の広重と、主要ジャンルで代表的な絵師を輩出した歌川派だが、〈歌川派の摺物は役者絵が多いのが一つの特徴〉だったと「レスコヴィッチコレクションの摺物」で浅野館長は書く。江戸時代、大スターであり、ファッションなどのインフルエンサーでもあった歌舞伎役者。熱心なファンが「推し活」として摺物を制作していたのだろうか。
最終第4章は、北斎一門、歌川派以外の絵師の作品を集めている。窪俊満は〈狂歌摺物の画をのみかく〉と前記『浮世絵類考』にある絵師で、自らも狂歌をよくした。渓斎英泉は芝居で言う「悪婆」のようなクセの強い女性を多数描いた「美人画」の名手。ここに挙げた「鼠尽十二宝 鼠大津」で描かれているのは、大津絵の始祖との伝承のある浮世又平だという。摺物は複数の絵師で合作されることもあったようで、北斎や勝川春英が共作した「常磐津文字喜名浚い会摺物」を見ていると、当時の江戸文化の華やかさがよく分かる。
〈レスコヴィッチ氏は、摺物の魅力は、少部数の制作、洗練された摺りの技術、美的感性にあるという〉
浅野館長は「レスコヴィッチコレクションの摺物」でこうも記している。国芳が描く三枚続の武者絵の豪快さ、「冨嶽三十六景」などの風景画で北斎がみせる奔放な構図とはひと味違ったミニマルで細密な美の世界。あまり世に知られたジャンルではないかもしれないが、摺物が表現している美は、日本的な伝統をよく示しているのではないか、とも思うのである。