江戸時代の浮世絵界を代表する絵師の一人、喜多川歌麿。美人画はもちろん、狂歌絵本など多岐にわたる作品を残し、今もなお人々を魅了し続けています。本記事ではそんな歌麿の生涯と、その才能が光る代表作をご紹介します。
目次[非表示]
喜多川歌麿《當時全盛美人揃・玉屋内小紫》, キヤノン 「クリエイティブパーク」より.
喜多川歌麿とは
喜多川歌麿《日傘をさす女》, キヤノン 「クリエイティブパーク」より.
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)は江戸時代の浮世絵師であり、特に美人画で一世を風靡した巨匠の一人です。当時は町人文化が花開き、浮世絵が広く庶民に親しまれる時代でした。歌麿はその波に乗り、才能を発揮したのです。
喜多川歌麿の生涯
喜多川歌麿の生没年には諸説ありますが、その生涯は波乱に富んでいたといわれています。
繁栄した化政文化
喜多川歌麿《釣り》, キヤノン 「クリエイティブパーク」より.
歌麿が活躍した時代には、化政文化が栄えました。18世紀後半から19世紀前半にかけて江戸を中心に花開き、浮世絵の他には川柳や洒落本などの文学、歌舞伎などが町人たちの間で流行したのです。
歌麿の作品からは、遊女や芸者といった女性たちの姿を通して、江戸時代の都市生活や風俗を垣間見ることができます。
喜多川歌麿と処罰
人気を博した歌麿ですが、晩年には筆禍事件に巻き込まれました。
筆禍とは、書物や絵画の内容が当時の社会秩序や道徳に反すると判断され、作者が処罰されることを意味します。江戸時代の寛政の改革では特に厳しく取り締まられ、思想や表現の自由が制限されていたのです。
歌麿は豊臣秀吉の晩年を描いた作品が幕府の意向に反すると判断され、処罰の対象となりました。手鎖50日という重い処分を受けて自由を奪われ、その後、失意のうちに亡くなったと伝えられています。
喜多川歌麿の浮世絵で有名なものは?
歌麿の浮世絵には、《寛政三美人》のような美人画の代表作をはじめ、有名な作品が数多くあります。美人画のモデルとなったのは、多くが吉原と呼ばれる遊郭の遊女や花魁です。
美人画を描くにあたり、歌麿は歌舞伎の役者絵などに用いられていた大首絵の技法を用いました。女性の顔を大きくクローズアップした画風は、歌麿の浮世絵の特徴ともいえます。
以下では、特に有名な作品を2つご紹介します。
寛政三美人
喜多川歌麿《寛政三美人》, キヤノン 「クリエイティブパーク」より.
《寛政三美人》は、江戸時代の寛政年間に活躍した3人の美女を描き出したもので、歌麿の美意識と、当時の社会の様子を窺い知ることができる作品です。
美女たちの名前はそれぞれ富本豊雛、難波屋おきた、高島屋おひさ。大首絵でその美しさを強調しています。
婦女人相十品・ポッピンを吹く娘
喜多川歌麿《婦女人相十品・ポッピンを吹く娘》, キヤノン 「クリエイティブパーク」より.
《婦女人相十品・ポッピンを吹く娘》は、江戸時代の若くていきいきとした女性の姿を描いた作品です。
「ポッピン」は息を吹き込むと音が鳴るガラス製の玩具で、当時の若者たちに人気の遊び道具でした。また、娘が身につけている市松模様の振袖は当時流行していた柄であり、絵を通じて江戸の若者たちの流行や文化がよくわかります。
喜多川歌麿と蔦屋重三郎の関係は?
歌麿が世に知られるきっかけを作ったのは、江戸時代の版元として活躍した蔦屋重三郎だといわれています。
その当時、和歌の形式で世相や風俗をユーモラスに詠み込んだ狂歌が、大衆文化として広く流行していました。そこで重三郎と歌麿は、狂歌と浮世絵を合わせた狂歌絵本を制作したのです。このとき世に送り出した《百千鳥狂歌合》《画本虫撰》《潮干のつと》は、歌麿三部作とも呼ばれて評価されています。
喜多川歌麿《画本虫ゑらみ》, NDLイメージバンク.
2025年大河ドラマ
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、歌麿が重要なキャラクターとして登場します。
喜多川歌麿役を演じる染谷将太さんは、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では織田信長の役を務めました。本作では主人公の蔦屋重三郎に見出され、才能を開花させていく若き日の歌麿を演じます。
2025年1月5日(日)の午後8:00から放送開始予定です。
参照:大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
喜多川歌麿をもっと知りたくなる!
美人画をはじめ、狂歌絵本など多岐にわたる作品を残した歌麿。その作品からは、当時の江戸の風俗や人々の暮らしが垣間見えます。作品を通じて江戸時代の文化に触れてみれば、美術鑑賞はもっと楽しくなるはずです。